2008.04.01

選民意識

今日の選民意識は、「誰も知らないのでそれを言う」という類いのものであった。実にありふれた選民意識ではあるのだが、その「ありふれた」という感慨こそがそれであることに気づき、顔を赤らめて陶器の皿で署名を隠す、そのような振る舞いをまたも繰り返す。大型ショッピングセンターへ自家用車にて出向き、下位文化の渦中においてヴィレッジ・バンガードでのウィンドウ・ショッピングを楽しむ時折の娯楽。だけれども、それを選民意識と称するのはややもすれば了見の狭さのみを誇示することではないか、と「内心の」声がつぶやくのだが、かような煩悶もまたある種の(サブカルチャーでなければ粋の、カウンターカルチャーでなければ風来坊の)美的実存に関わるものであるだろう。

だが、ややもすれば「選ばれてある恍惚」に真に(笑)感染することを厭わない俊才たちが多くあることを見るに、老婆心ながらそこに足りぬ手を伸ばそうと慮ることも許されてしかるべきではあるまいか。選民意識をいかに育成するか。選民意識からなる文化産業をいかに発展させるか。かつてのアドルノならばそのような問いに偉大な頭脳を悩ませることもあっただろうに。形式、結晶、F尺度。私はあきれるほどにモノを知らず、そのことによってやがて来るファシズムに感染している。ところで、ファシズムとは何のことだったのだろうか? それは選民意識とどのように関係するのだろうか? 郊外型の巨大ショッピングセンターの書店には、その答えを記した書物が売られているらしいので、彼らは(否、我らは)明日にでも自家用車に乗って旅立つのだろう。なんであれ、世界などどこにでもある。たとえ選民意識に欠けていたとしても。

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2007.11.03

ひが美との思い出

ひが美は私の三度目の恋人で、一緒に暮らしていたのはもう15年ほど前のことになる。その頃の私はご他聞にもれず不如意な人生の時期を過ごしており、ついぞひが美にはつらくあたることが常であった(もちろんそれは私の甘えでしかなかった)。ひが美はそれに不平をもらすこともなく、私の向かう国や地方へと無言で付き添ってまわることを厭わなかった。こっそりと実家への金の無心もあった。それが当時の私の癪に障ったらしい、あるとき私はひが美には何も知らせず(眼科に行く、と簡単に言い残した)、一人根室などへと向った。時計と洗面具一式、そして『「いき」の構造』一冊だけをバッグには入れた。根室からは資本主義の曙らしきものが遠望でき、私はおおいに一人旅を満喫した。そこでの空想、虚妄などが、私の現在の礎となっている、などと述べるのはあまりにも傲慢であろうが、少なくとも当時の私には、ひが美よりも私の15年後の保身だけが興味の対象だったのである。哀れな私。

ひが美はそのとき、私への手紙を投函したらしい。宛先は根室。「なぜ私の行き先が分かったのか」と帰郷した私は彼女に尋ねた。あなたの思いのままに、と彼女はひとりごちた。それが私の耳にした、最後のひが美の言葉であったように思う。それからも何度か、偶発的にひが美と出くわす機会はあったのだが、私は極力他人のふりをするよう心がけた。卑劣な男である私は、しかし、そのことについて後悔を感じることはさほどない(ひが美も私に話しかけることはなかった)。

ひが美と別れてからの私の人生は順調だったとは言えないが、彼女と恋仲であった時代に比べてもさほど変わりはないように思う。ひが美と共に暮らした人生の一時期が、誰にとってもそうあるべきものだったとは思わない。だが、私にはそのような過去があった。今は違う。それが全てだ。彼女はその後、とある(一部で)著名な地質学者と結婚したと聞いた。私との面識はない学者だが、おそらくは二人が幸せに暮らしているだろうことを祈りたい。

私はあれから、根室に行ったことは一度もない。

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2007.08.06

隠喩としての人生

「かつては、あの山を見下ろすほどの寓話を建てたものだった」、そのように大工は私に言った。その寓話は、距離や規模など(つまりは、人が知りうる欲望の物差しということだ)で測れるようなものではなかった、ともひとりごちた(私に聞かせるべきことではなかったのかもしれない。大工は咳払いをした)。

私はそのとき、出来の悪い見習い大工であったが、少しばかりは畏怖という概念を持ちあわせるような年頃になっていた。でなければ、大工の話にそのように素直に耳を傾けることもなかっただろう。仲間のうち、大工の話を小馬鹿にしていた連中は、さっさと稼ぎのよい仕事を探して別の島へと渡っていった。大工の話を真に受け過ぎてしまった連中は、山を見下ろすどころか、寓話と呼ぶにもほど遠い言葉をもてあそぶことに熱中するしかなかった。

私の中途半端さは、幾分か(もちろん、山を見下ろすことなど願うべくもないが)大工の話を隠喩として聞くことくらいには役立ったように思う。かくして、私も見習いを経て、一応の寓話を紡ぐことのできる能力を得ていった。ひどい話ではある。(それもこの戦争の前の話だ。誰もが気づかぬうちに始まり、「戦争が始まった」と誰かが叫んだとき、それは終戦を迎えていたような、そんなひどい話である)

時は過ぎ、かつての仲間たちとの付き合いもなくなった。私はささやかな寓話を日々紡ぎ、出来合の隠喩に自足するような暮らしを過ごしていた。「人に測れる欲望なんて意味がない」といったラディカリズムが勃興するのは(いや、正確に述べるならば、そのような「感性」の勃興である。凡庸な隠喩で済まない)そのような平凡な人生の一時期に対して、なのであろう。

いずれ、再び山を見下ろすような寓話がまたそびえ立つことはあるのだろうか。私はそれを身を焦がすように望む者でありながらも、幾分かは、隠喩という偽善の側につくこと以外の選択肢を失っている自分に気づきつつある者でもある。老いとは。笑止とは。

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2007.07.12

かつての友だった者へ

かつての友だった者へ。まだ羨望は深いのか。不如意をあてどなき未来への仮託へとすりかえる詐術は、少しばかり上手になったのか。「すべては運である」という世界観を共有していたこと(だけ)をもって友であった俺たちは、その運の多寡によって相異なる道を歩むことになってしまった。俺はその詐術を磨くことに、おまえよりも僅かばかり熱心であっただけだと心底思っている。だから、とはいえ、かような認識ごときがかつての友だった者の不如意に資するものは何らあるまい。ことさらに罪を冠る身振りによって俺の罪悪に許しを乞い願う殊勝など何の意義もあるまい(俺に及ぶなよ)。あのとき、終電の山手線の中で俺たちは「すべては偽善だ」と思っており、それを日々の仕事に疲れ果てた給料取りについて呪詛することこそ「倫理的」なのだと思っていた。その思いは半分ばかりは変わるまい。だが、だからといって、おまえの不如意に加勢することを倫理的と看做す義理は俺にはない。義理は倫理と等しくない。さらば、かつての友だった者へ。かくなる冷酷な口上はあたかも三文役者の政治のようだ、とおまえは言うだろう。そして、かつての俺たちも、一も二もなくそう言った筈だ。で、それがどうした。俺はかつて友だった者を冷たく見据え、おまえはただその不如意しか訴えるべきものはない。それは運である。だから、かつて友だった者との歴史は消えることはないのだ。なんという不如意。そして、言い訳。

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2007.06.14

敬意を要求すること

誰からも敬意を抱かれぬ者ほど、周囲に敬意を要求する。このテーゼの対偶は、周囲に敬意を要求しない者であるほど、誰かからの敬意が期待できる、ということになるだろうか。前者が真理ならば後者も真理となろう。であるならば、誰かからの敬意を切実に欲望する者こそ、周囲に一切の敬意を要求しなくなるのだろうか。

そのような思考には、おそらく、「敬意一般」と「自分への敬意」との区別への配慮が欠けている。

敬意一般を周囲に強要することで、知らずして誰からも敬意を抱かれることなく尽きる者もあれば、自分への敬意を強要することで、敬意一般を「毀損する」ことに忙しい者もある。者への敬意。物への敬意。そして、自分の敬するものへの敬意の形式をこそ、敬意一般になぞらえ墨守せんとする者のさびしさを思え。

人生は面白い。不敬の私に容赦あれ。幸あれ。

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«物象化と疎外