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2005.09.20

愛について1

”ぼくらが もう少し 愛についてうまく 話せる時がきたら くらしていこう”
(スガシカオ「愛について」1997年)

愛について。ロラン・バルトではないが(と一言、断りを入れておくのがここでの流儀である)、愛について語るとき人は常に失敗する運命にある。しかし、愛について語ることを倫理とする人々の威勢は相変わらずうなぎ登りだ。誰もが愛について語っている。愛さえあれば「それを語ることが許される」といった疑似自然法は1967年以降の世界を領している。それが自己愛であるか、あるいは祖国愛であるか、またはこの夜の柔らかく乾いた寝床への単なる生理的愛着であるか、その区別は特段問われることがないようだ。
愛について。私は、アルミニウムを愛することがないが極めて優秀な金属工学者をしばしば例として挙げることがある。そもそもこの例を最初に挙げたのは我が敬愛する(笑)恩師であるが、そのことはとりあえずどうでもよいだろう。重要なことは、愛があなたの言述の真実を保証することはない、という冷酷な現実を告げることである。そしてもう一つ重要なことは、愛に自身を担保させることによって、愛から愛されることのない権力の人へと、あなたが(知らずして)にじり寄りつつある冷酷な現実について語ることである。愛するあなたへ。この警句が届かないように。

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コメント

愛について。私は、アルミニウムを愛することがないが極めて優秀な金属工学者をしばしば例として挙げることがある。そもそもこの例を最初に挙げたのは我が敬愛する(笑)恩師であるが、そのことはとりあえずどうでもよいだろう。重要なことは、愛があなたの言述の真実を保証することはない、という冷酷な現実を告げることである。そしてもう一つ重要なことは、愛に自身を担保させることによって、愛から愛されることのない権力の人へと、あなたが(知らずして)にじり寄りつつある冷酷な現実について語ることである。愛するあなたへ。

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なるほど……。

投稿: なる | 2005.10.19 12:46

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