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2007.06.14

敬意を要求すること

誰からも敬意を抱かれぬ者ほど、周囲に敬意を要求する。このテーゼの対偶は、周囲に敬意を要求しない者であるほど、誰かからの敬意が期待できる、ということになるだろうか。前者が真理ならば後者も真理となろう。であるならば、誰かからの敬意を切実に欲望する者こそ、周囲に一切の敬意を要求しなくなるのだろうか。

そのような思考には、おそらく、「敬意一般」と「自分への敬意」との区別への配慮が欠けている。

敬意一般を周囲に強要することで、知らずして誰からも敬意を抱かれることなく尽きる者もあれば、自分への敬意を強要することで、敬意一般を「毀損する」ことに忙しい者もある。者への敬意。物への敬意。そして、自分の敬するものへの敬意の形式をこそ、敬意一般になぞらえ墨守せんとする者のさびしさを思え。

人生は面白い。不敬の私に容赦あれ。幸あれ。

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2007.06.12

物象化と疎外

「出会い」「気づき」「癒し」。これらはすべて物象化のためのことば遣いであることに「気づき」はあるのだろうか。そのように遂行的矛盾(これもまた)を冒しながら問いつめることもできるだろう。だが、物象化は疎外に起因する「概念のような現象」でしかない。でなければ、大のおとながどうして口角泡を飛ばして革命、否、改革などと議論しあうのだろうか。疎外感に溢れているから、なのだろうか。いや、斯様な詮索はよしておこう。「仲間はずれにされること」と「疎外」が異なるトークンであるのと同様に、「批判すること」と「あら探し」と「言いがかり」とはそれぞれ異なる物象化の形態であるだろうから。「重要なのは実践だ、解釈ではない」などと、程よく物象化されたトークンを掲げる連中は初夏を迎えても意気軒昂。そこから「疎外」されたことを死んでも認めようとはしない私は、やがて短めのロールケーキをいくつか倉庫から拝借しては家族や学生たちのために売り歩くのだ。あ、賃労働。

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