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2008.04.01

選民意識

今日の選民意識は、「誰も知らないのでそれを言う」という類いのものであった。実にありふれた選民意識ではあるのだが、その「ありふれた」という感慨こそがそれであることに気づき、顔を赤らめて陶器の皿で署名を隠す、そのような振る舞いをまたも繰り返す。大型ショッピングセンターへ自家用車にて出向き、下位文化の渦中においてヴィレッジ・バンガードでのウィンドウ・ショッピングを楽しむ時折の娯楽。だけれども、それを選民意識と称するのはややもすれば了見の狭さのみを誇示することではないか、と「内心の」声がつぶやくのだが、かような煩悶もまたある種の(サブカルチャーでなければ粋の、カウンターカルチャーでなければ風来坊の)美的実存に関わるものであるだろう。

だが、ややもすれば「選ばれてある恍惚」に真に(笑)感染することを厭わない俊才たちが多くあることを見るに、老婆心ながらそこに足りぬ手を伸ばそうと慮ることも許されてしかるべきではあるまいか。選民意識をいかに育成するか。選民意識からなる文化産業をいかに発展させるか。かつてのアドルノならばそのような問いに偉大な頭脳を悩ませることもあっただろうに。形式、結晶、F尺度。私はあきれるほどにモノを知らず、そのことによってやがて来るファシズムに感染している。ところで、ファシズムとは何のことだったのだろうか? それは選民意識とどのように関係するのだろうか? 郊外型の巨大ショッピングセンターの書店には、その答えを記した書物が売られているらしいので、彼らは(否、我らは)明日にでも自家用車に乗って旅立つのだろう。なんであれ、世界などどこにでもある。たとえ選民意識に欠けていたとしても。

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