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2008.06.10

その近さを競え

その国では、近さは通貨であり、同時に財であった。誰もが近さを手に入れようと奮闘し、競うように近づくことを欲した。ときには思いあまって、任意に近さを捏造しようとする者さえ現れた(さすがにそれはその国の法によって罰せられたが、罰を覚悟してさえも近さを希求する輩は時折出没し、非難はされるものの、羨望のまなざしを向ける者すら一部にはあった)。媒介される生が多数派となった時代の悲喜劇である、と高みに立った「分析」を施す者もあったが、なにぶん、近さを得られない立ち位置にある哀れな人間のひがみと看做され、顧みられることはついぞなかった。近さを誇示できぬ者は、媒介された近さであれなんであれ、手当たり次第に近さのリソースを駆使するのが通例であったのだ。どうしようもなく近さに縁遠い者にも、最後には「関心」という名の通貨を用いることが許されていた(それはかつては特別な免罪符と看做されていたが、こんにちでは誰もがそれを使うことを躊躇わない)。その国のこのような時代には、「遠さ」という概念は存在しないし、それは罪悪ですらあった。

私は「遠さ」をたんじゅんに称揚するほどのお人好しではなかったが、近さの神話に取り付かれた人びとを苦々しく見守ることを業務としていたので、近さのインフレーションに対して都合よく距離を置くことのできる、恵まれた立ち位置にいた。もちろん、そのことによって「近さ」という通貨を稼ぎ、妻子を養っていたのである。ひどい話だ、と自分でも思う。そして、そのようなひどい話に憤慨するだろうことが予測される人びとから、自分と妻子を隔離することだけに日々の関心を向けていた。「エゴイズム」ではないな、「小市民」と呼ぶのだろう。今や小市民の身分さえ贅沢品に過ぎない。

ある夜、私は「あなたに近づいた」という通告を、ドアホン越しに耳にした。私は諦念と共にドアを開けた。立っていた中年の男(歳の頃は私と同じくらい)は、あたかも出生の秘密を打ち明けるかのような思い詰めた様子で、明日の予定について私に説明した。「タクシーの隊列は、右ではなく左に曲がることになっています」彼の説明は流暢ではあったが、どこか空疎にも感じられた(もちろん、それを責める資格は誰にもない)。では近さを、と彼は締めくくり、私に右手を差し出した。私はその通貨を—財でもある—を彼の右手に対して支払った。満足して彼は去っていったが、何に満足したのか、私は今ひとつ自信をもって断定することができない。遠くに離れてしまった今もなお。

その国では、近さは通貨であり、同時に財であった。誰もが近さを手に入れようと奮闘し、競うように近づくことを欲した。革命が終わり、近さの価値が暴落してしまった今となってはどうでもいい話ではあるのだが。

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